人物

梓みちよの若い頃は?幻の宝塚時代やデビュー当時18歳の顔画像

2020年1月29日に、歌手の梓みちよさんが亡くなられたとの訃報が届きました。

梓みちよさんは、歌手として、「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」が大ヒット。

そして、NHK紅白歌合戦にも1963年から69年まで7年連続で出場した輝かしい実績をもちまつ。

梓みちよさんのご冥福をお祈り申し上げます。

今回は、梓みちよさんの若い頃を調べてみました。

梓みちよのプロフィール

本  名: 林 美千代(はやし みちよ)
生年月日: 1943年6月4日
没年月日: 2020年1月29日(76歳没)
出  身:福岡県福岡市博多区
血液型:O型
学  歴:
福岡女学院中学校高等学校1年修了
宝塚音楽学校中退

梓みちよの若い頃は?

福岡県福岡市博多区の梓みちよさん。

幼いころから通ったバレエ教室の先生が元タカラジェンヌだった影響を受け、中学生で初めて宝塚を見ます。

そこで、月組トップスター内重(うちのえ)のぼるに一目ぼれ。

「私も男役になりたい!」と、梓みちよさんの母に内緒で音楽学校を受験したら、一発合格!

1960年に、福岡女学院高校1年修了で宝塚音楽学校に入学。

その当時の梓みちよさんの顔画像がコチラです↓

梓みちよの宝塚音楽学校時代(当時16歳)


出典:http://astand.asahi.com/entertainment/starfile/OSK201307160022.html

宝塚音楽学校で声楽やバレエ、日本舞踊をみっちり学びながら、、遅くまでタップダンスなど個人レッスン通うなど努力を重ね、80人近い同期の中でトップの成績だったそうです。

そして、在学中に、渡辺プロダクション社長に出会い、歌手デビューすることになり、1年半で宝塚音楽学校は中退しています。

難関の宝塚音楽学校に合格したのに、中退してしまうなんて、すごいですね!

そして、約1年間のレッスンを経て、1962年に“ボサノバ娘”のキャッチフレーズでキングレコードより「ボッサ・ノバでキッス」でデビュー

歌手として本格的に活動をスタートさせました!

デビュー当時の梓みちよさんの画像がコチラです↓

梓みちよの歌手デビューの頃(当時18歳)

そして、1963年、『夢であいましょう』の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞の大賞を受賞!

そして、同年、NHK紅白歌合戦にも初出場を果たします↓

梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」大ヒット(当時19歳)

この大ヒットにより、人気歌手としての地位を獲得します。

ちなみに、1964年5月に東京都文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待されて、昭和天皇の御前でこの歌を披露したエピソードがあり、これが、明治時代以降において日本芸能界初の天覧歌謡曲だそうです!

そして、1974年には、「二人でお酒を」(作詞・山上路夫、作曲・平尾昌晃)が大ヒット!

この曲で、第5回日本歌謡大賞・放送音楽賞、第16回日本レコード大賞・大衆賞をそれぞれ受賞しました。

梓みちよ「二人でお酒を」大ヒット(当時30歳)

当時の動画もありました↓ クリックしてご視聴ください。

まとめ

今回は、「梓みちよの若い頃は?幻の宝塚時代やデビュー当時18歳の顔画像」と題して、梓みちよさんの若い頃について調べた内容をまとめてみました。

宝塚音楽学校に在学されていたころの梓みちよさんは、「二人でお酒を」や「よろしかったら」の大人の雰囲気とは全く異なる清純という感じですね!

もし、歌手デビューしないで、宝塚として活躍されていたら、全く違う芸能人生だったんでしょうね。

改めて、梓みちよさんのご冥福をお祈り申し上げます

今回は、ここまでとさせていただきます。

最後までご覧いただきありがとうございました。